秋さんは、無方の彼方へ 秋さんへあとむより (「風の便り」02.6.28号より)


関矢先生、全国の皆さま、あとむの子たち。ありがとう   秋山京子

96年から五年間、『気のいいイワンと不思議な小馬』に出演し、
キャラクターをこの上なく生かせる素敵な役をもらい、愛する若者達といつも一緒の舞台に立ち、
いつも一緒の旅が出来ました。
生涯の終わりに素晴らしい時間を持って、秋さんは幸せだったと思います。
「楽しかったよ。ありがとう」と云っているかも。
秋さん、みなさま。あとむの子の決意をどうぞ聞いて下さい。


少しご報告を 秋山京子
 
平成十三年九月二十四日、主宰者秋山英昭が他界しました。
新潟県燕市文化会館主催の『気のいいイワンと不思議な小馬』公演。
午前九時からの仕込、十五時からの開演という当日のことでした。
朝八時半頃、搬入口付近で、愛車パジェロの中で倒れ、そのまま、昏睡に入ってしまいました。
すぐに病院に運ばれ、手当を受けましたが、たった八時間半眠って、
その日の本番が無事終わるのを待っていたように、夕方五時十九分、
静かに彼岸へ渡っていきました。
たった一日の内に、別れのことばの一言もなく、ひとり去っていきました。
こんなことってあるものでしょうか。
脳幹出血でした。
 
病院への搬送もお医者さんの診療手当も極めて迅速に受けられて、後で口惜しい思いや、
疑問視をしなければならない事態は、全くありませんでした。
まったくどうにもならない病魔におそわれたのです。

その日のこと、その前後のこと、一刻一刻鮮明でもあり、何もかも夢の中のことのようでもあり、
ただ言えるのは、秋さんのいない秋が来て、冬がきて、春がすぎ、もう九ヶ月余も経つというのに、
それは昨日のことのように鮮明なできごとのままです。
誰れ彼れの上におなじような悲痛な出来事は幾多あったのです。もっと悲惨な不幸も。
でもやはり、みずからに起きる悲嘆は、あたかも人類はじめてのことのように、
あたらしい顔であらわれるというのは本当でした。
 
創造の集団は、主宰者の旗幟のもと、意志を重ね合い確かめ合いながら結晶を創り上げていきます。
今立つところのレールが敷かれ少し先までの軌道は見えたとしても、他の普通の事業より、
「リーダーの意志・思考が集団の行く手を示していく」ものと思います。主宰者有っての組織でしょう。
でもリーダーのこれ程の急逝は、のこされた私達がその旗をひろいあげてかかげ
続けていく道しかありませんでした。
関矢幸雄先生の指導のもと、長い時間と、努力、研鑽をかさね、多くの人達の信頼と期待を戴き、
社会に裨益する大切な仕事として、みずからも他からも認識された実績と責任がありました。
関矢幸雄先生と、あとむ・秋さんのテーマは創立以来、どの作品も「生きること」です。
 「元気になって生きていく力」の栄養になる作品をと創り続けてくださいました。
優しく・強く・賢く、辛いときに立ち上がる力を持てるように。
そのためには多面的に発想する感性を持てるように。
そのためには想像力をより多く育てられる表現・手法を。
そのためには先人の偉大な深い、普遍的メッセージ・文学作品を。
『あとむの時間はアンデルセン』のなかにも『あとむのお話コンサート』
〜レフおじいさんの童話の森にて〜のなかにも、その願いと確信はこめられてあり、
私達は日々公演を重ね、舞台から多くの人に発信してきたわけです。
あとむが悲嘆から立ち直り元気でいい仕事をしなければ、
私達のこれまでの発信は無責任なものになってしまうということです。

恩師・関矢先生は「あとむを守るのではなく、この不幸を、
あたらしく自分の能力を開発・発見する機会にして伸びて行け」とお励ましくださいます。
次の目標に向けて既に先頭に立ってスタートを切って下さいました。
一人一人がより確かなあとむになって、遺志を継ぎながら新しいあとむを創りたいと思います。
どうぞ今後共によろしくお見守りください。


楠 定憲
まずもろともにかがやく宇宙の微塵となりて無方の空へちらばろう
『秋さんはいつもいる』

「あとむの時間はアンデルセン」「気のいいイワンと不思議な小馬」「あとむのお話コンサート」
今上演中の作品の中に秋さんはいるのです。
それは秋さんが世界中の人達が幸せに生き合えることの大切さを伝えようと思いをこめて
制作をした作品であるということだけでなく、芝居の登場人物の中に、物語そのものの中に
秋さんをハッと感じてならないのです。
(近頃、アンデルセンの「とうさんのすることはみんなすき」のお父さんをそう感じているんだな。)
そしてまた、様々な公演先でお会いする方々との話のなかにも秋さんをみるのです。

私(達)は秋さんがたくさんの劇場の皆さんと出会い・創り・育て合い築いた
良き関わり(心のつながり)を大事に引き継いで行く責任があります。
種をまき、水をやり、美しく咲き育った花畑や丹精込めて耕した土地からのありがたい実りを
これからの未来を託す子どもたちのためにも荒らし、枯らしてしまうわけにはいきません。
(今ふっと、無類の子ども好きだった秋さんの「三歳の童子を拝す」の言葉がよぎりました。)

巨きな先達の秋さんが後輩の私(達)にまさに身をもって示してくれたのは
「人は何で生きるか」「ほんとうの幸福って?」…と言うことでした。
これらを前にしている私たちに秋さんの声が聞こえてきます
「頼みますよ。伝え続けてくださいよ。」
私の部屋に秋さんが作っていた鉄道模型が未完のままにあります。
(秋さんの好きだった尾道の鉄道風景です。)私は未完のままでいいと思っています。
秋さんはいつもいます。秋さんを思うことで出会えて、元気づけてくれているのです。

高橋 善明
我々にとっては大きい存在でした。
公演後、子どもたちの顔をみると秋さんが残してくれた芝居、本当に素晴らしいと思います。
その一念で、これから、制作のこともやっていきたいと思います。
秋さんと同じことは出来ません。僕は僕なりの表現で行きたいと思います。
早く、全国各地、おやこ劇場などの旅を一人でまわってみたいです。
その時は、ぜひ、お声をかけてくれれば幸いです。
これからもよろしくお願い致します。

清水 敬充
秋さんとは、ほぼ12年のお付き合いでしたが、その軌跡を辿るが如く
アルバムを開いていきますと、そこには様々な思い出や教わった事などが鮮烈に蘇ってきます。
今上演中の何れの作品をとっても、秋さんと共に創り、そしてここまで築きあげてきたものですから、
秋さんの存在は特に本番中に実感するのが本音です。
未だに秋さんに尋ねたり、アドバイスを求めたり…そんな日々続きですが、
秋さん生前のあとむを引き継ぎ、更によきものとなるよう、
そしてより一層多くの皆様に観劇していただけるよう努力していきます。
そして皆様の劇団あとむへのお心配りにおいて、一日もはやく皆様に
安心していただけるよう皆と一丸となって努力してまいります

織田 晴光
秋さんが亡くなって、もう9カ月になろうとしている。
旅に出ていると東京の事務所に居るような、或いは会議や事前で出張しているような、
そんな感じがしています。現実はそうではありませんが、いつも何処かに居てくれている、
そんな気がします。残された仕事は、秋さんの意志を伝える事。
それは今上演している作品全てを、もっと沢山の人に観てもらう事でしょう。
我々の心の中に生き続けている秋さんの意志を決して忘れず、
失わずに受け継いでいく事が使命だと思います。
いつまでも子ども心を持ち続けていた秋さん!
人に対する思いやりを忘れなかった秋さん!
無邪気な所がとても素敵でした!どうか見守っていて下さい。合掌

三浦 美穂子
秋さんには本当に色々な事を教えてもらいました。
雑学から、おいしいお酒まで(?)そして、あとむ…芝居…大切な事…
お寺の住職の御言葉で「仏になった秋さんが教えてくれる事、
それは『あなたたちは生きている』と、いう事です。」というのがありました。
ずーっと秋さんには教えられっぱなしです。
これからも秋さんの残してくれたものから色々な事を教えられるのでしょうね。
それを活かしていけるように生きていきます。

京本 幸子
去年の秋のある夜、私達は旅先にいた。
公演を終えてホテルの部屋に戻ると窓の外、うんと高い夜空に真ん丸な月が浮かんでいた。
「あ。秋さんや…。」
部屋の明かりを消してみると月明かりは優しく暖かく窓から入り込んできた。
麦酒を持って窓辺に立つとガタンガタンと窓を開けて小さな声で「秋さん乾杯」と言ってみたりした。
秋さんがいつも心にかけていたもの…小さいもの、弱いもの。自然。お蕎麦。舞台。等など、、
幼い子供達は「わぁ!サンタクロースだ!」と言って駆け寄り、
秋さんに抱かれると天使のように笑ったし、秋さんに育てられた花々は力一杯咲き誇っていた。
お蕎麦は他のどんなお蕎麦より美味しそうな音がしたし、
秋さんが立った舞台は一味も二味も違っていて、そして大きかった!
「気のいいイワンと不思議な小馬」エンディングの演奏で八百屋舞台のセンターに立ち、
どぉんどぉんと高らかに太鼓を打ちならす秋さんの姿は本当にかっこよかった!
秋さんが思い描いた未来に向かってどんなにゆっくりでも一歩一歩悩み迷いながら、
絶える事無く続く命の一粒の麦となるべく歩いて行きます。秋さんと出会えて良かった。
たくさんの人々が織り成す人生の中で、秋さんの所までいざなってくれた私の運命に感謝!
秋さん、本当にありがとうございまた。これからもその場所から私達をどうぞ見守っていてください。
それではまた… 

原田 邦治
メーテルリンク「青い鳥」の話の中で、チルチルとミチルが〈思い出の国〉へ行く場面があります。
そこで昔亡くなったおばあさんが、チルチルに
「わたしたちの事を思い出してくれるだけでいいんだよ。
そうすればいつでもわたしたちは目がさめて、お前たちにあうことができるんだよ」
秋さんのことを思い出すたび、心の中に浮かぶ言葉。
あとむのみんなは、また、一人一人が一段と輝く星になっていますよ。
やさしく!つよく!かしこくね!

林 大介
今回こんな事が起きてしまって、僕にとって父親を亡くしてしまった感じでした。
本当の親子のように可愛がってもらって、そして時には厳しく僕の事を一番理解してくれました。
秋さんの代わりにはなれないけど、一人一人が協力し合って
よりよい劇団をつくろうという事を教えてくれました。
全員が成長する姿、他の何処にも負けない劇団・作品をつくっていくのでみんなを見ていて下さい。

三國 純子
私はあとむに来て7年間、公演日以外はずっと事務所に勤務し、
その間ずっと、秋さんと一緒でした。だから、秋さんは自分のことを
「俺の方が三國の実のお父さんより一緒にいる時間が長いんじゃないか」
と言って笑っていました。ホントにそうでした。
『気のいいイワンと不思議な小馬』では、一緒に舞台に立ちました。
舞台では、誰よりもかっこよく、存在感があり、体力作りにプールに通ったり、
誰よりも役者根性があると感心しました。
事務所では、炊き込み御飯のお弁当作って持ってきてくれたり、
おいしいものたくさん一緒に食べました。
さりげなく気をつかってくれ、何をやるにも遊び心いっぱいで、茶目っ気があって、
あんまりたくさん話しをするわけじゃないのに、なんただか秋さんといるとニコニコしたり、
尊敬する事ばかりで楽しかったです。
秋さんはいなくなっちゃったけど、秋さんが遺してくれたエネルギーは
色んな所にあるような気がします。
ちょっとずつ大事に汲みとって、秋さんに育てられた「あとむの子どもたち」のみんなで
使っていけたらいいなと思ってます。
秋さん、これからの一人ひとりをどうぞ、見守ってください。

秋さんへ  小嶋 京子
秋さんが逝ってしまったあの日、すべてが真っ白、白になっちゃったあの日、
ぜったい忘れられないあの日。
秋さん、あれから 関矢先生はじめ多くの方々の励まし、応援のおかげで、
みんな元気でやっています。
二十数年前、秋さん、京子さんに出会ってからずーっと秋さん大好き 秋さん頼り
秋さんいるから大丈夫、オンブにダッコのわたしでした。
やりたい事は何でもやらせてくれました。欲しい物も、楽器も道具も材料も。
秋さんのおもしろい話、久々にいっしょに舞台に立った『気のいいイワンと不思議な小馬』
秋さんに教えてもらった事は いっぱい イッパイ いっぱい。
秋さん ありがとう アリガトウ 有難う!!
秋さん、わたしがあまりに頼りなく しっかりしてないから心配でしょ、
でも若い人たちは すっごい頼もしい。
秋さんが育ててくれたあとむ、京子さんといっしょに みんなで 前向きに元気にやり続けるよ!
秋さん どーぞ 守って下さいネ。
賢く 強く やさしくいたいチョメより

阿部 真心
秋さん、あの時から考え直して変わった事があります。
時間です。
休日を寝て過ごしていた私は、バイトしたり、誰かの為に雑用したりと
一日無駄にしないよう努力しています。
それから無償で奉仕してくれる母とは一緒に居てくれるだけで感謝し、そ
れを口に出して暮せる毎日です。
私の愛する回りの人達にも感謝して、自分の出来る事を精一杯、頑張ります。
もうすぐ一年。少し変わったねと言われる位、沢山考えますね。

高橋 由布子(研究生)
私が初めてあとむのお芝居を見たのは『風を見た少年』という作品でした。
それから数年、私の地元でのアンデルセンの公演の時「どうだった?」と感想を聞かれ、
本当は伝えたいことがたくさんあったのに上手に言葉にすることが出来なくて、
「いつか機会があったら伝えたい」と思ったまま時は過ぎて行き、
そのいつかは訪れませんでした。
秋さんは幼かった私に「お芝居に触れる」という素晴らしいプレゼントをくれました。
今また、私の人生を変える大きな力を遺していってくれました。
別れの痛み、たくさんの人との出会い、舞台の上で、そして今を「生きる」という事の喜び。
その全てが私のこれからの人生を彩ることでしょう。
その全てを大切に、育てていきたいと思います。