「風の便り」 ホームページ版 2001.3月発行


役者が感動した三宅島の子達との出会い 

 子ども達が演劇から色々な感動を得ているように、我々演じる側も観ている子ども達から
種々のメッセージを貰い、感動し芸の肥やしにさせて頂く。小学校の演劇教室等で、
笑いをリードしていってくれる餓鬼大将のような子がいてくれると、気持ちよく芝居が進行
できるが、全員の目がこちらを見ながらも、背中は周りの大人たちを意識していたりする
子ども達に出会うのは辛い。
 
公演の度にそれぞれの感動に出会うが昨年末の三宅島の子ども達との出会いは
強烈に感動をさせられた。
 
 都内の演劇教室でお世話になったK先生が三年程前から三宅島に転勤されたが
劇団のA・K子とのおつき合いが続いている。はじめはのどかな島便りだったが、やがて
地震が始まり、そして、あっという間の全島避難である。そして秋川高校での子ども達の
集団生活が始まる。K先生からの話をA・K子から伝え聞くにつけ戦争中の集団疎開の
経験を思い出し、彼らの辛さ淋しさが良くわかる。
その上に学住接近?となると気を抜く暇もないだろう。

 そのうちに
「どうだろう。あとむの芝居を観て2時間でものんびりした時間を持って貰ったら」
という提案をしたところK先生を通して実現する事になった。
 期日は2000年の12月20日、出し物は、
『気のいいイワンと不思議な小馬』(原作「せむしの小馬」)と決まった。
まさに劇団あとむの20世紀の仕事納めにふさわしいのではないかと嬉しくなる。
 はじめは小学校だけだったが、人数も少ないし、なるたけ年齢の幅が広く大勢で
観て貰いたいという思いから中学高校まで話をかけ、中学は実現したが
高校は試験休みで無理だった。  
 
 さて当日、トラックと2台の乗用車に分乗して朝8時、秋川高校の体育館に到着。
ただちに仕込開始。強烈に寒い!
 当日は公演の終わった頃に皇后さまが子どものお見舞に来られる由、
校内も何となく落ち着かない。
 やがて入場時間。入ってくる子ども達も高校の大体育館にも負けない間口7間の
舞台装置にびっくりしたようである。
 
 そして開演。長老役の私が大きな袋を担いで先頭に立ち一団が舞台に出て行く。
その袋から本を取りだして芝居が始まる幕開きである。舞台に足を踏み出し最前列の
チビ達の顔が見えるといじらしくて一瞬胸が詰まった。
 さて、落ち着くと今度は子ども達がどう反応するかが気になってくる。
プロローグの(ここで笑うか)というチェックポイントでの笑いが遠慮がちなので
心配したが、やがて下級生らしい子の大きな笑いをきっかけに会場をどよめかす
笑いの連続が始まった。
 
 1996年の初演以来、多くの公演を行ってきたが、このような爆発的な笑いの
連続は初めてである。下級生は役者がこけても笑い、上級生はユウモアのある会話で
笑う。上級生の笑いを聞いて後ろを振り返って下級生が笑う。まさに異年齢で見合う
理想的な笑いだ。
 
 最近、あまり感動をしない子ども達に出会うことの多い中で
(この子たちはこんなに笑いたかったのか)
と嬉しくもあったが、これは子どものSOS信号ではとも思った。
 
 終幕、袋に本をしまい一言「さよなら」と去る所で、子ども達の顔が見えると思わず
「いい年を迎えろよ」と付け加えた。
 袖に入るとK先生が飛んで来て「子どもが御礼を言いたいというので」との事。
「御礼を言わせるのは無し」にして貰ったはずなのにと思いながら出て行くと
利発そうな女子中学生が原稿も持たず御礼を言った後に

「沢山の皆さんの力を借りて一日も早く三宅島に帰る日までがんばります」

という言葉を聴いたときには一同胸をうたれた。
 なお、頂いた感想文の中に
「おじいさんの最後の言葉が良かった」
というのを読んだ時には役者冥利につきると思った。



文化庁の芸術基盤整備事業の補正予算が出た!

 昨年暮れ、日本児童演劇協会から右記の金が出るから申請するようにと
ご親切なお知らせを受けたが、天地開闢以来、この国がそんな事をする筈がないと
多寡をくくっていたが、とにかく、ホントだという事。
「いくら出るんですか?」「とにかく、思いつくままに書いて出せ」。
「それじゃあ、まあ、少しでも貰えればいいかあ」と劇団内で相談。

 半信半疑半眼居眠りのおじさん(代表)をさておき、日本では手に入りにくいロシアの
民族楽器バヤンだのグースリ(ロシア風の琴)だのガルモーシカ(小型手風琴?)等が
欲しいと若者どもは大騒ぎ。
 それを片目でせせら笑っていたらなんと全額通ってしまって、2月の末には入金して
しまった。

 その上、これは補正予算だから3月までに使い切れとのお達し。
眠気は一気に吹っ飛んだ。
25年ほど前、当時はまだソ連、一月半公演。つきあったロシア人を思い浮かべると、
(時間はいくらでもある)という彼らの顔がのびやかなポリシーに思い、こりゃあ現地に
買い付けに行かなければ間に合わないぞという結論。
 
 その金は渡航費に使ってはいけないという事で乏しい財政から1名の派遣を決定。
トルストイを取り上げる事になってから、四方に教えを請い歩いた劇団一番の勉強家
楠定憲の知己S氏がモスクワに行くとの事で便乗をお許しいただいて厳冬のロシアに
楽器を買い付けに楠が出かけた。そして大役を果たして帰国。

 せっかく行ったのだからトルストイの故郷ヤースナヤポリャーナまで行きたかった
らしいがロシアの冬ではとても無理。かわりにモスクワ市内のトルストイ記念館の
像の前でガイドのおばさんと記念写真。
ダ・スビターニャ!モスクワ!

トルストイ記念館の像の前で

文章;劇団あとむ 秋山英昭

★あとむではA3両面の紙面で「風の便り」を発行しています。
ご希望の方は、ご連絡下さい。(只今4号〈2001.6.27〉まで発行しました)