「風の便り」 ホームページ版2001.6.発行


1.『 あとむの時間はアンデルセン』(遊びのヴァージョン)
「総合学習の時間」に招かれる

演劇鑑賞教室ではなく、新しく設けられた〈総合学習〉の時間に
『あとむの時間はアンデルセン』(遊びのヴァージョン)が
6月7日、松本市の田川小学校に招かれました。
1年生から3年生までと、その保護者と地域の老人たちが
交流しアニメイム(棒とボールと輪っかで遊ぶもの・右の写真)
に参加し遊びアンデルセン童話≠鑑賞するものでした。
入退場には子どもたちが老人たちと手をつなぎ案内するという
微笑ましいシーンが見られ(左の写真)、ゲームの所では
本気になって子どもと競争する若いお母さんもいたりして
まさに地域での三世代が交流する場がありました。
今後、こういう取り上げられかたが増えると良いですね。

2.養護学校の公演始まる

6月2日、千葉県松戸市の養護学校で『あとむの時間は
アンデルセン』で公演がはじまりました。
今年度千葉県下8カ所の養護学校で公演があります。
突然、舞台に飛び込んで来る子がいたり、
喜んで大声をあげる子がいたりして、
無伴奏コーラスで芝居を進める俳優たちを
びっくりさせたりしましたが、一年生から高校を出て
作業所で働く先輩たちまでが喜んで鑑賞してくれました。
(役者よりこんなに大きい子もいましたよ・右写真)

3.劇団自賛  


原田邦治
『あとむのお話コンサート』をささえる若手俳優二人

青年の美徳は寡黙である。
眉ね涼しく来るべく困難に立ち向かう意志ある表情があれば更に良い。
ただ、最近の若者は笑いを取ろうとする会話が多く、
実にへらへらしている輩が多い。
その点、林も原田も寡黙である。原田などは天使クンなどと呼ばれ
小学校の女の子に寄ってこられたりするが、お愛想もしないし増長もしない。
林も原田を肩の上に乗せ3m60pの人間の塔を作り、会場を歌いながら
一周するが、弱音は吐かない。
最近は演出家の関矢幸雄氏も認める二人の演技は向上し
『あとむのお話コンサート』のお芝居の中でベテランに伍して支えている。
劇団歴もほぼ同じの7年。1m80p。自賛ながら楽しみなライバルである。

林大介

4.コラム風から聴く「新学期 春野菜のような子どもたち」

春の学校公演は楽しい。
何故って新一年生の可愛らしさといったらない。まるで春野菜のように柔らかで愛くるしい。
公演会場の体育館に入ってくる様子はタマネギ坊やとトマト嬢ちゃんの行列だ。
 
そんな子たちを見てて昔はその前途の洋々さを羨んだものだが、
最近は「これから大変だなあ」とつい思ったりしてしまう。
 
こんな子どもたちの集団の中で凶刃を振るった池田市の男はどんな奴なのか?
完全に人間として心が壊れているものは(人権)などが認められてはいけない。
保護拘禁すべきである。ところが、この(池田市の事件)は、その問題を離れて学校の
警備という方に問題がすり替えられてきている。
もちろん、警戒するに超したことはない。ただ学校を完全に警備をしようとしたら鳥かごの
ようなものにするか刑務所のようにするかない。

昔から学校は向こう三軒両隣しか知らなかった子どもたちが、もっと大きな社会と
出会うところだ。
警備を名目に社会から隔絶してしまったら(池田市の男)のように他の人間の痛みを
知らない人間を量産していく。
子どもの躾を言うとき良く学校、地域、家庭が上げられる。しかし、この三つは孤立して
いるのでは無く、二重に時には三重に重なり合っているのだ。

「来校者」を受付ではっきり把握するという事を文部科学大臣までが言っているが、
凶刃を振りかざして受け付けに寄ったりはしない。
時間はかかるが「心の歪み」を産まない社会を作り直す事だ。(鵠里亭)