役者が輝く児童演劇に!(機関誌「児演協」53号より転載)


 児演協に加盟して皆さんとお付き合いが始まってまだ二十年位にしかならないが、
今回「劇団論」という原稿の依頼をお受けして思い起こしてみると、まず初めに
驚いたのは制作という人の多さだった。中には学校を出たての若い人もいる。
 何を言いたいのかというと、児童演劇に関わって三十五年近く、この世界は
経営者とか、いわゆる制作とよばれる人は良く見えているのだが、不勉強なのか、
その商品たる舞台表現に携わっている人達が見えづらい世界だなと思う。
 照明他スタッフとよばれる部分はまだ良いが役者達(裏方もやるという意味を含めて)
があまり見えてこない。

 劇団の若者が故郷へ帰って知人から、
「何やってんだ?」
「芝居です」
「TV出てんのか?」
「いや、児童劇です」
「ああ、子ども使ってんのか」
「いえ、子どもに見せる芝居で全国廻っているのです」
「ああ、ドサ廻りか」
「・・・・」
 児童演劇に対して世間の評価はこの程度ではないだろうか。

これでは、児童演劇を生涯の仕事にしようという若者は出ないのではないか?
「そろそろ子どもが高校生なので・・・」と芝居を捨てた、渋い役者さんの顔が思い出される。
 では、劇団あとむではどうなのか。営業という点では、それだけの仕事で人間を置く
余裕はない。その点では前にこの欄で書かれた劇団未踏の立川氏のものを身に
つまされて拝読した。
 従って営業は役者でありスタッフである人間が担当する。ただ、営業が不向きだと決めて
いる人間に対しては強制はしない。十五人足らずの劇団員の中で給料か否かという所を
分けるというのは、それ一点だ。ステージ数で喰えるのが理想だが。

勿論、ステージ数だけでは喰えないから当然アルバイトをする。
ただ、それも役者にとって一番必要な(人を観察)出来る仕事がいいぞという演出の
関矢幸雄氏のアドバイスもあって、それぞれだが、昔風の八百屋で呼び込み店員を
している役者が、手打ち公演の時は、とにかくダントツで切符を売る。
「ちょっと奥さん、大根が安いよ」と商店街で異業種交流をしているのが良いのだろうか?

 さて、生涯を賭け得る仕事としての役者をという問題になると、
「この指とまれ」とあげた私の指に止まった若い仲間と作った劇団だから、
いささか私事から書かせて貰うと、残念ながら、私の児童演劇への接点は子どもの為に
とかいう格好の良いものではない。
 昭和四十年代、新宿の文化映画で映画が終わっての夜九時半から芝居をやるという
アートシアターの常連であったN座の舞台監督をしていた私に児童劇での仕事の声を
かけてくれたのは、若くして死んだ児童文学者佐野美津男氏(『浮浪児の栄光』他)だ。

 私が十五歳で結核を患い入院した病室での六歳先輩だったが、集団疎開をしていた
ときに、終戦の年、三月の東京大空襲で家族全部を失った経験を持つ佐野氏は、
どこか捨て身な凄みをもった青年で辺り構わず、喧嘩をしていたが、同じく孤児同様の
私には優しく、お互いに療養所を出てからも、私の生活を心配して何度か仕事の声を
かけてくれてた。この「ぬいぐるみ人形劇という児童劇」もそうだった。

 そこで出会った制作者の功績は、当時、劇団風の子の仕事を始めていた関矢幸雄氏を
別の表現(ぬいぐるみ)という入口から児童演劇に招聘した事だろう。 
亡くなられた演劇評論家茨木憲先生をして、
「ぬいぐるみ人形劇は劇場を遊園地に変えてしまった」
と嘆息せしめたものだったが関矢氏はむしろ、
「縫い、くるむというのは、母親が子どもに最初に与える愛情表現」として積極的に
評価使用していった事だ。

 私自身が(児童演劇に生涯を賭けてみよう)という気になったのは正しく、人間が行う
どんな表現にも偏見を持たず「児童演劇は子どもを変え得る」という氏の信念に
触れたからであろう。
 関矢氏は「クマのプーさん」では、初めてぬいぐるみの世界にブラックシアターを
取り入れ、クマのぬいぐるみを着た俳優を空中に飛ばし、「ちびクロさんぼ」では
実際のセットと撮影した映像をシンクロさせトラがバターになるところで子どもを
ビックリさせた。私は徹底的に関矢演出を追いかける決心で一九八四年に
劇団あとむを創り上げ今に至る。
 
児童演劇を生涯の仕事にしようという人間を育てられるか
 
そして私の頭に重くのしかかっているのは(児童演劇を生涯の仕事にしようという人間を
育てられるのか)という思いだし、それは今も続いている。
 私自身も(ぬいぐるみ人形劇)から今まで三十五年の仲間のことを考えると、
俳優の仕事は(新劇)の俳優達のアルバイトが多かった。

 第一期は私の所属していた劇団の研究生など、第二期は関矢氏の演出をうけた
大人の芝居の俳優達。ここまでは本人達の劇団の公演が優先されるのでしょっちゅう
俳優が変わった。
 そして、今第三期の劇団あとむでは(児童演劇の役者は生涯食える仕事になり得るか?)
という実験の最中であり新劇人のアルバイトは無い。それどころか、この七、八年役者の
出入りは無い。続いていてくれるという事はうれしいが、どんな芝居も今いる役者でという
事になるので、彼らに対して要求が増える。音楽を生演奏でとなったら、演奏家を連れて
くる事は絶対に無理だから出番のない時の役者が演奏する。そのためには楽器が出来る
役者になって貰う。

 喰える役者と断らざるを得なかったのは(経営)という部分は劇団あとむを含めて、
どうにか喰えているらしい(?)のである。
 それと、もし、家族持ちの俳優が「子どもと夕食を食べたい」とか「旅公演は嫌いだ」と
言いだしたら(特に地域に根ざしてもいず、呼ばれれば何処へでも出かけていく
劇団あとむ)は吹っ飛ぶ。

 児童劇団という特殊な条件での仕事をする人間といわゆる一般の市民の幸福が
同じでなくてはいけないという事はない。誇りは金の価値さえも超える。
役者をやるという幸福感はこれは別だぞ!
 そして(自分の子どもに誇れる仕事)にして行くのが私達先輩の仕事だろうし、
児童劇の賞一つにしてもマスコミが一片の記事にもしない現在の評価を高めて
行くべきだろう。

 児演協内でも「経営論」は盛んである。やはり前に書かれた飛行船の田中氏の言う
「芸術家の社長」では「芸術の経営」は出来ないという点には異義はない。
ただ一流の芸術家が経営しているという例は寡聞にして聞かないから実害はあるまい。
 それよりももっと問題なのは一片の芸術的感性さえ持たぬ少々小才のある経営者が、
児童劇の世界を左右するとしたら問題であろう。なぜなら

「芝居を選ぶのは子どもでは無い」
のがほとんどだからだ。
 大人は一回見て愚にもつかない芝居なら二度とその劇団には出かけないだろう。
だが、子どもの芝居を選ぶのは一部の大人である。
 結局は歩みは遅いが誠実に作り続けるしか道はないのだろう。
時には「家族の団欒」さえ犠牲にしてがんばる役者達のために。
 最後にお断りして置きますが現在のぬいぐるみ人形劇(今は色々呼び方が
違うようですが)の事は一切知りません。思いつくままの拙文乞うご容赦。