ATOM TIMES
あとむたいむす
                          

2004年2月に、今年最初のあとむたいむすが発行されました!
今回は「あとむTea time NEWS」と題して、各作品からの発信や、
劇団員(あとむくん)のエッセイなど読みもの記事満載です。

 ★『気のいいイワンと不思議な小馬』より 原作者 P・エルショフさんは19才だった!

 ★『あとむのお話コンサート』〜レフおじいさんの童話の森にて〜より トルストイの教え子たち
 
 ★『あとむの時間はアンデルセン』より あとむは、デンマークへ行かねばと決心した!


  無数のあとむくんたちへ、劇団のあとむくんたちは考えた
 ★【創造 表現について】 小嶋京子・原田邦治・三浦美穂子・織田晴光
 
 ★【私の先生】 高橋善明・三國純子・林大介

    
              

『気のいいイワンと不思議な小馬』の原作は、1834年、P・エルショフさんが、19才の時に書いた大ロングセラー「せむしの小馬」です。レフ・トルストイはこのときまだ6才です。

訳者田中かな子さんの記述によると「P・エルショフは、豪商の伯父さんの家から中学校に通いました。その、豪商の家に出入りした隊商の商人達、百姓、御者、馬丁、漁師、漁夫、兵隊、料理番など雑多な階層の人々から世界中の珍しい話をたっぷりと聞き、又、警察署長、政務局長などを歴任した父親からは、豊かな社会知識を得ていました。そして彼等の持つロシアの民衆魂と伝承民話の生きた言葉をたっぷりと吸収して育ちました。」
19世紀初頭のロシアは、農奴制も末期の頃、ニコライ一世の専制君主政治の厳しい時代です。圧制下に書かれたこのお話は、多くの意味合いを底にふくみます。重圧、貧困、重労働の中でも、たくましく、自分を励ます糧を見つけて、したたかに生きてきた民衆の知恵を、彼らは寄ってたかって少年エルショフに注いでくれたに違いない。子ども時代を、豊かで多様な人々の生き様(よう)を見て、「生きている情報」にたっぷりと恵まれて成長したのです。エルショフ青年のお話の登場人物(動物・自然も)は生き生きと息づいています。弱い者が力を合わせる友情、愚かと云われる者が最後は幸せになるという理想、差別・偏見を超えた巨きな存在(自然)等がおりなす痛快な展開は、民衆の希望を担い、時代を超えて力強く私たちを励まします。「生きた情報」を、子どもたちにたくさん送るのが私たち大人の役割なのですよね。(K.A)



イワンと小馬



                

『自由な学校』、それは、レフ・トルストイ先生の学校。
生徒は領地の貧しい農民の子ども達です。多くは一人前の農民として大地に立つ働き手。
仕事や手伝いを終えて 駆けつけます。
「学校は勉強したい子が来るところなんだ」とトルストイ先生。
モスクワから200kmのヤースナヤポリャーナ。「森に囲まれた明るい草地」でトルストイ先生に出会えた子どもたちの時間はどんなに豊かにながれていたのでしょうか。
学校で学ぶこと、知識や広い視野を得ることは、眩しいような未知の世界であり、まさに人生への窓だったのでしょう。 なにより楽しい、彼等が瞳を輝かせてすべてを吸収したであろうその時間の濃さを思うとき
彼らが羨ましく感じられます。
そしてそんな彼等を前にしたレフ・トルストイ先生の、喜びを想います。平和な未来を託すこの子どもたちこそ希望でした。

私たち少し昔の子どもたちも、今現役の子どもたちも、情報の洪水の中で、魂が鈍ることなく、学ぶ事はどきどきするほど素敵だと感じたい。そしたら時間はもっとゆっくり流れてくれるかな。生涯を『人は何で生きるか』と語りつづけたレフ・トルストイ先生の惜しみない愛と、その実践を、あとむは心をこめて子ども達へ届けます。


                  

           2005年、童話の王様 アンデルセンは、 生誕200年を迎えます。

団あとむの大原点『あとむの時間はアンデルセン』、生誕の地デンマークで2005・9月に開催される『生誕200年フェステバル』に、ぜひ参加すべきだと、あとむは決めました!
関矢幸雄演出のユニークで斬新な表現と深く暖かい解釈、そしてピュアなあとむの俳優たちを、デンマークの「民衆」に観てもらうのだ!ここまできたものを、また一段と飛躍させる為にも、国際的舞台に立つ。作者アンデルセンこそ一番この舞台を喜んでくれるはずですしね。
ここで問題、国内では10人編成の舞台でも、海外公演なら15人編成となる大型作品、ご想像通り、自費のみではまず不可能です。主催デンマークからの招聘作品となること、行政への助成金申請が通る事が不可欠なのです!
今、国際的文化組織のアシテジ日本センターはじめ多くの方々にご支援やアドバイスを戴いて、主催デンマークの中心プロデューサーとのやりとりが進行中です。早ければ3月には、展開が見えそうです。まさに息苦しい現代にこそ、アンデルセンのメッセージがふさわしく、日々新しい。その普遍的深さに、驚嘆します。実現は、演劇鑑賞教室で観て下さった皆様が喜んで下さる事でしょう。それを思うといよいよ頑張りませんとね。乞ご期待。         (K・A)




舞台からおりて俳優たちは何を考えているのでしょうか?
テーマにそって、エッセイ風に心の中をのぞいてみました
 
                                                                                 

織田晴光・三浦美穂子・小嶋京子・原田邦治
『役者をやめようと思った 』  三浦美穂子

演劇というものに関わりだして何年たつかはわかりませんが、ある時期役者をやめようと思ったことがありました。
私はほんの少しの間でしたが某有名演出家のもとで勉強していました。そこでは演出家と仲間の前で、何人でやってもいいので何か発表するという時間があり、新人の私は既成の短い一人芝居を発表しました。…結果は散々でした…演じている最中からみんなに笑われ、いたたまれない思いでした。某有名演出家には「こうなることはわかっていた。今度は複数でやってみろ。ここにいる人たちが相手してくれるかはわからないが。」といわれました。
結局このことだけが理由ではないのですが、弱かった私は「こんな思いまでして役者やりたくない」と心を閉じてしまい、そこをやめてしまいました。
でも、今は笑われた理由も演出家が言った意味もわかります。下手だということだけでなく、当時の私は『ひとりよがり』だったのです。作品の本質を考えない独りよがりの解釈、独りよがりの演技…そしてそれに気づくことの出来ない、独りよがりの自分…こんなんではいい表現なんて出来るわけがありません。ましてや創造なんて!
役者にとって大切なことはいっぱいあります。その中のひとつとして私は『ひとりよがり』にならないように、人、物、本と共に生まれていく表現を大切にしていきたいです。
ちなみに今でも役者をやっていられるのは、自分がはじめて役者になりたいと思ったときの気持ちを思い出したのと、あとむに出会えたからです。





『 よい表現って? 』 小嶋京子

わたしたちは「アニメイム」という表現を作品の中でやっています。これは棒・ボール・輪でいろいろな形を作って遊ぶ「遊び」です。(関矢氏考案)
アニメイム、人形、布、箱などで見たての表現を私たちは多くやっています。よい表現って何?いろいろな物に慣れて自在に扱え、自分の思いをそれに託して表現できるようになるって、すごく大事、そして楽しいことなんですが…。初めてアニメイムに出会い、まずは棒だけで母馬、小馬を作ったときのことを思い出します。形は下図。それぞれ3人でジョイント部分を持ち、母馬が小馬を気づかう、小馬が母馬に甘えるという表現をしようとしました。最初は3人とも自分の役割だけやろうと必死。キッチリ、ガッチリやっちゃって、他の2人のことなんか気遣えない。自分がチャンと持てないのは他の2人がダメだからなんて思ったりして。手はジンジン、足はガクガク、汗はダラダラ、でも持ち手を変えたり、見る側、やる側を変わったりして夢中でやっているうちに、部分と全体をとらえられるようになり、3人でやっている馬一頭を感じつつ(チームワークもよく)ちゃんと表現になっていきました。見るのもやるのも面白くとても新鮮!みんな一生懸命でした。
 物に慣れて自由に扱え、自分の思いをそれにたくして表現できるようになる楽しさ! 同じ作品を長くやっていると、いつのまにか色々な事に慣れてしまう。チームワークさえも惰性に。どのくらいやって、いつごろ慣れきっちゃうのかわからないけれど見ている人に「なんかつまんないのよね」って言われる時期が問題!見る人の心に残る表現ができていないと思う。そんな時はきっと慣れ慣れ慣れきっちゃっていて、よい表現ができていないと思う。せっかく慣れたのに、うまくできるようになったのに、じゃあどーすればいいのさ。はじめてアニメイムをやった時のドキドキ、ワクワクしながら夢中だったような、新しい気持ちを持続すること、それがわたしにとって、よい表現なのかもしれない。
『 深いと思えた事はまだない… 』 原田 邦治
 
深い表現とは? ん〜そうですね役者(芝居)をやり始めて10年近くなるのですが、今だによくわかりません…こんな事言うと怒られそうですが、人の芝居に感動する事はあっても、深い!と思った事はないんですよね…まぁ深い表現って言うのがようは解ってないだけなんですけど。感動イコール深いって事なんですかね〜。良い表現とは?これも深い表現と一緒かもしれないですけど、人の心を動かす事、感動させる事なんでしょうね。あと表現には1番なんてものありませんよね、決められたルールの中でその場に的したセリフや動きを楽しんでやる事ですかね。今悩んでいる事…今書いた事そのままなんですけど、自分ではこれでいけると思った表現でも、見る人によって「良かったよ」と言われたり「ダメだったね」と色々な意見が返ってくる。それが楽しいて言えば楽しいんですけど、時々自分が解らなくなる時があります、芝居だけじゃなく私生活も同じなんですけどね。

『 表現についての考察 』 織田晴光

若い頃は、好きだからという理由だけで芝居を続けていたが、年を重ねる毎に役者とは?表現とは?などと考えるようになってくる。 あらゆる芸術表現は、人間の生き方を描くことで、人々に感動と生きる勇気を与え、平和に暮らせることを目的の一つにしていると思う。ところが人々の価値観は千差万別、同じものを見たり聞いたりしても、感じ方はみんな違う。だから芸術家はあらゆる表現方法を使って、人々にさまざまな形で現し、伝えようとしている。 あとむのレパートリー作品に共通したテーマは「愛」。聖書の言葉を引用すれば『神は愛なり』、中国思想では「道」 老子、荘子の思想では人間は万物斉同。この考えをもってすれば、人間の喜びや悲しみ、あるいは戦争と平和といったすべての対立の意味は無くなり、 絶対無差別の境地が実現できると説いている。(トルストイに通ずる) 20年以上前、『ハムレット』の芝居を観て役者を志した私は、子どもたちにお芝居をみせることを中心に、役者稼業をしている。生の感動が、私の人生を変えたように、演劇をとおして、子どもたちにこれからも感動をいっぱい伝えていきたい。


林大介・三國純子・高橋善明
『小さな先生』 高橋善明

私の先生は、とても小さいです。それは、子どもたちです。
 今、私の地元で、夜間、小学校の体育館を開放してます。大人から子どもまで、色々なことをしてます。バスケット、バドミントン、卓球、等々、最後はみんなでドッチボールをやったり、色々遊んでます。
 この前、7、8人で大縄跳びしてた時。はじめは、一人ずつ、それから全員で…これがなかなか出来ない(私もふくめて、大人2人入ってました)子どもたちもはじめは、「私行く」「俺行く」そのうち、その中の一人が「お兄ちゃん先跳んでいいよ」…最後は、無事全員跳べました。
よかった、よかったー。終わってから思いました。子どもたちは、どうすれば、みんなで跳べるようになるのか、子どもは子どもなりに色々考えている。それも実行しながら。
 我々は芝居で学校に行きますが、我々芝居人も、もっともっと、子どもたちと一緒に遊ぶ場に行くべきではないか。
 それは、子どもたちは、感じ合いながら遊んでいる。彼らは純だ。そう思わせてくれた彼らは、私の先生だとつくづく思う、今日この頃です。




『 楽しかった一週間 』 林大介

僕が埼玉の田舎の中学校に通っていた時に、教育実習生として井上先生(国語)が一週間、学校に来てくれました。僕の家は自営業(レストラン)をやっていたのですが、井上先生は道路をはさんで3軒目くらいの陶器屋の息子で、お客さんとして知っていました。
何か前から知っている人が先生として来て、ちょっと自慢でちょっと変な気持ちでした。授業は退屈せずに楽しくて、やっぱり先生と見れずにお客さんにしか見れず、お昼休みなども校庭で遊んでくれたことも覚えてます。家が近いので夜も家まで遊びに行ったり来てくれたり、この時期は本当に楽しく過ごせました。
一週間もあと一日となって、放課後にお別れ会の為に色々と用意して夜までみんなで頑張りました。
そしてお別れの当日の放課後にみんなの気持ちをぶつけました。家が近くていつでも会えるのに、この一週間が楽しかったせいか泣いてしまいました。先生が「こんなにやさしく楽しいクラスの先生になれて幸せでした」って言ってくれた一言がいまだに忘れられません。その日、家までお礼として来てくれました。
一年後に川越の先生となり、家も移り消息がわからなくなってしまって、顔を見る事が出来なくなってしまいました。高校に入学し、僕も東京に移って来て「今も先生やってるのかなぁ…」
児童演劇やっていて、どこかの小・中学校で偶然の出会いがあることを祈って。
もう一度、お礼が言いたいです。
『 小さな心が感じたこと 』 三國純子

幼稚園の年少組の頃、私の目に飛び込んできた光景は、私の人生の前途を明るく導いてくれることになりました。
園庭で遊んでいた年少組の私とみんなが、わーっと下駄箱の前のスノコをバタバタとならして教室に帰ってきた時、後ろからついてきた二十代前半の河内美稚子先生をふと見ると、みんなが脱ぎ散らした靴をそろえていました。その光景は、私の脳裏に焼き付き離れませんでした。その姿があまりにもさりげなく、それだけで、あたたかさや、やさしさや、女らしさなど幼い私には「美しい心」が見えたように感じたのでしょう。
その時から私もそんな人になりたいと事あるごとに思い出し、大学は保母資格を取得する学科に進学しました。保育所実習に行ったとき、クラスの先生と子どもたちのカラーがそっくりなのを見て、〈人が無意識に与えている影響ってすごいんだなぁ〉と体感しました。そして〈自分はいい先生に出会えてたんだぁ〉って。
私は、あとむに入りました。『気のいいイワンと不思議な小馬』の関西公演に河内先生を招待しました。神経質で言葉を発しないで、問題児だった私。20年以上ぶりのドキドキの再会。先生は、私の手をしっかりにぎりしめて、「立派に…なってねぇ…よかったよ。ほんま…素敵やったよ」と、ただただボロボロと涙を流していました。私も何も言えず涙ボロボロになりましたけど…。
あとでふと、私は「美しい心」のおかえしができたような気がしました。幼児期の「美しい姿の先生」を、心にとめて成長してきた私は、「美しい心での舞台」でおかえしができたような気がしました。私が〔いる〕のは、色んな人のおかげだと改めて感謝しました。